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自治会について

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旭ヶ丘にお住まいの方へ

旭ヶ丘自治会は1区(1地区)と2区(2地区・3地区・4地区)に分かれています。さらに地区の中には「組」、組の中は「班」と分かれます。(旭ヶ丘マップを参照)

自治会本部は会長、副会長、区長の三役の執行部、各組長、各専門部で構成され、役員会議や自治会行事での役員を中心に行っています。

自治会最大の行事は、毎年8月上旬に行う「夏祭り」です。2023年度は太鼓や盆踊り、おもちゃの屋台、そしてキッチンカーによる焼きそばやフライドポテトの販売などが好評で、大盛り上がりでした!

 

また、11月には旭ヶ丘内のお店や施設をめぐる「ハッピータウンウォーク」(スタンプラリー)があり、旭ヶ丘内を歩いて、さらに景品ももらえる楽しい行事もあります。

 

他にも、道路清掃と資源回収(5月と12月頃)、総合防災訓練(8月)、環境衛生部の衛生巡回、育成部のイベントなど、旭ヶ丘の「安全」や「きれいな環境」を自分たちで守っていく取り組みを続けています。

 

参加していただけると、楽しいイベントもありますし、住みやすい環境をつくっていくために必要な活動だと感じてもらえると思います。

 ぜひ一緒に自治会の活動にご参加ください(*^o^*)!

旭ヶ丘案内図

旭ヶ丘マップ

​旭ヶ丘自治会規約

「旭ヶ丘自治会の規約は、下記ボタンからダウンロードできます」

pdfファイル 全19ページ(1,324KB)

​旭ヶ丘の歩み

「地域における歴史や発展の過程」

歴史

旭ヶ丘の歴史

現在の旭ヶ丘は、その昔、隣接する駒寺野新田・森戸新田・女影新田・高萩・原宿・下鹿山に属した小字(こあざ)名がありました。この多くは山林で、農家が点在していました。

 

 昭和の初めに、ここが平地林であったことから飛行場建設が計画され、陸軍航空士官学校の分教場となり、その名称は「高萩飛行場」となりました。

 

 当時の飛行場面積は、東西1,800m、南北1,180m(昭和18年4月調べ)で、現在の旭ヶ丘病院、ベイシア及びベイシア電器、スーパースポーツゼビオ、開栄寺までも含む広さでした。

旭ヶ丘の歴史

 1945年(昭和20年)8月に太平洋戦争(第二次世界大戦)が終戦となり、飛行場は撤去。日本政府の決定により緊急食糧増産対策の一環で、開拓地として解放されました。

 

 同年12月、当時の高萩村・高麗川村(現在の高萩地区・高麗川地区)の次男三男及び、県内外の復員軍人、戦災者など134名が入植し、開拓農家が生まれ、地名を『旭ヶ丘』と命名、旭ヶ丘開拓農業協同組合が発足しました。(この組合は昭和44年に解散し、それに伴い日高町農協(現JAいるま野)に加入)

旭ヶ丘の歴史

1976年(昭和51年)10月14日、それまでの開拓農協事務所に替わり、「旭ヶ丘公会堂」が建設され、盆踊り大会、秋祭り、体育祭など地域行事の拠点となりました。

 

 2010年(平成22年)に、地区内の区割りを再編し、現在の自治会組織がスタート。2019年(平成31年)には地主会から土地等財産の変更に伴い、「地縁団体法人」資格を取得しました。

旭ヶ丘自治会館

​ 公会堂の老朽化、またここ数年の地震や風水害の影響を考慮し、地域の防災拠点としての役割も視野に、2021年(令和3年)2月に公会堂(のちに新自治会館)建設委員会を発足。視察や検討を重ねながら2024年(令和6年)11月3日に「旭ヶ丘自治会館」が完成しました。

自治会三役の紹介

旭ヶ丘が「安全で」「きれいで」「みんなの顔が見える」地域になるよう、
一緒に盛り上げていきましょう!

旭ヶ丘内の店舗・企業のご紹介

「旭ヶ丘自治会が全力で応援いたします!」

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下記お問い合わせフォームよりご連絡お待ちしております。

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